講師インタビュー

バート・へリンガー

バート・へリンガー
2001年9月、10月の日本でのワークショップ直後

このインタビューはバート・ヘリンガーにとっては2度目の来日で(初回は旅行)、日本で初めてのワークショップの後、ハラルド・ホーネンにとっては初来日で初めて多くの日本人と接触したワークショップ後のインタビューです。
2001年の時点で、西欧人にとってまだまだ日本人は、感情を表現しない未知の人種だと認識されていることが読み取れます。
ハラルドは、世界中をバート・ヘリンガーと共に旅し、氏のワークショップの記録をカメラに収めてきました。2004年〜2005年日本で最初のシステミック・コンステレーション・トレーニング・プログラムのメインの講師を務め、彼の最終教授パートを終えた直後に脳梗塞で倒れました。
このインタビューの中で語られるワークショップの記録は、現在「HIROSHIMA/ヒロシマ」「KYOTO/京都に-1、2、3」4本セットのDVDとして販売をしています。

B: バート・ヘリンガー
H: ハラルド・ホーネン


H: バート、私たちはちょうど日本を発ったところですが、次の環境に飛び込む前に、私たちが経験したことについて振り返りたいと思います。日本での、ファミリー・コンステレーションで新しく経験したことの中で主要なこととしては何がありましたか?
あらかじめ言っておくと、私たちには、ドイツのZistでのインターナショナル・インテンシブ・トレーニング・プログラム(2001年5月)で、日本人にも感情を表すことはできると目にする機会がありましたが。

B: 日本人にとって、感情を表現するのがどれほど簡単なことかを見るのは驚きでした。最も私に感銘を与えたのは、彼らがどれほど自己を直接表現したかということと、彼らがお互いに、そして、私たちに向けて示した敬意についてです。
そのおかげで、例外的なほど彼らとのワークは楽でした。それからとても明白だったこととして、彼らは自分の感情を直接示し、めったに二次感情を表さなかったことです。彼らが自己の中心とつながり、その時そこにいたということも際立っていました。
クライアントが前に進み出ると、彼らは非常に速く深い自己の中心に落ちて行ったため、結果として彼らとワークすることは容易でした。
また、魂の動きの感覚の中で彼らを好きなようにさせておいたとき、それはとても真正でした。私はあのように美しい動きを見たことはめったにありません。そういう意味で、これは特別な経験でした。

H: もう一度感情についてですが。私たちは、日本人の男性も女性も感情を示すことができるのを目にしました。彼らは悲しくなることもでき、嬉しくなることもできる。今回、彼らは、私たちがヨーロッパやアメリカで目にするものと違いがほとんどないことを見せてくれました。

B: 日本人にとっては、それはむしろより深いと言えるでしょう。ファミリー・コンステレーションの概念について考えると、それが明るみに出す洞察、つながっているという、より深い感覚と、個人の前に全体が優先されることに関して、それらは彼らの意識にとってもっと間近に存在するものなのでしょう。つまり、彼らにとってファミリー・コンステレーションを理解するのは簡単なのです。

H: 私たちは、日本で、全体のグループが個人より非常に重要であると聞いていました。それは、ファミリー・コンステレーションの中で現れましたか?

B: ええ、様々な点で。それは、日本人から質問を得ることが難しかったという形でワークショップの中に現れました。
彼らは質問しようと準備するまでにしばらく時間がかかりました。なぜなら彼らの文化において質問は喜ばれることとされていないからです。彼らは自分たちに与えられるものを待ち、それについて疑問を抱きません。
印象的だったのは、ファミリー・コンステレーションを受け入れる大きな準備ができていたことです。将来、日本でファミリー・コンステレーションの助けで多くのことが可能になることでしょう。

H: 日本で2つの連続的なワークショップを行う機会があって運がよかったですね。そのおかげで、文化になじんでいくと感じる十分な時間がありました。
最初のワークショップは東京で開催され、2カ所目は京都でした。ファミリー・コンステレーションがたとえ彼らにとって新しいものだったとしても、参加者たち自身に深い準備ができていたことには私も気がつきました。

B: 2つのワークショップは、相互に基盤を置いていました。この間、私たちは自分たちをこの国に適合させていくことができました。
また、参加者の何人かは東京に続き2つ目のワークショップにも来ました。それによって、2カ所目のワークショップは最初の継続となり、最初のワークショップで起こったたくさんのことが深められました。

H: さて、ワークショップで起こったことについてです。
私が特に気づいたものとしては、母親についてのテーマがありました。

B: 母親から離れることは、日本では明らかに難しいことです。母親の影響は非常に強いです。男性たちは、彼らのパートナーである女たちによってしばしば評価を落とされます。
女性は自分の方が優れていると感じます。多分、それが起こるのはとても多くのことが女性に期待されているためでしょう。ヨーロッパと比較すると彼女たちの自由はもっと少ないです。それとバランスをとるために、彼女たちは家庭の中で影響を感じられるようにし、家庭の中で場所を取るようになったのでしょう。

H: それらの2つのワークショップから判断するのは多分早急過ぎるとは思いますが、クライアントが自分のコンステレーションを立てた時、そして母親がその場の中に置かれた時、動きはむしろ後方に向かうようでした。それは私たちがヨーロッパやアメリカで通常見慣れている、明確で瞬間的な母親に向かう動きとは違いました。
ここではいくつかの恥ずかしがったような後ずさりを目撃しました。それが言わば最初の区分でしょうか。

B: 後になって、前方に向かう動きは、彼らの中でも発展して行きました。しかし、あなたが良く考慮しなければならないことは、日本人はセラピストによって導かれるために待っているということです。彼らが自分の母親のところへ行きたいとき、彼らはすぐに行こうとせず、セラピストが「あなたの動きに従ってください」と言うのを待ちます。それにはしばらく時間がかかりました。後になって、それは全くすべて自主的に起こりましたが、最初は、彼らはむしろ内気でした。日本では、一人で目立ちたくはありません。

H: あなたが誰か他にワークをしたい人はいるかと尋ねたときにも同じでしたね。たくさんの人たちがワークをしたいと望んでいたのは明らかでしたが、そう言い出すのをためらっていました。また自分のためにより多くの時間を取ることにも弱気でした。
あなたはまた、非常に重要な問題にも対応しました。たとえば広島への核攻撃の影響とか。何かそれに何かついて述べてもらえますか?

B: あれは非常に長くて深いコンステレーションで、あの場にいた日本人にとって非常に重要なものだったと思います。クライアントが、彼女の祖父が広島への核攻撃で死亡したと言ったときにそれは始まりました。私は直感に従って、祖父のための代理人を一人と核爆弾のための代理人を一人立たせました。爆弾は巨大な強さで立っていて、動かせないようでした。祖父は、ゆっくり床に倒れました。爆弾はいくらか彼に近づきたい様子でしたが、動くことができませんでした。そして、このコンステレーションで何が重要だったかは明白でした:明らかにクライアントは原爆と同一化していました。彼女の問題は、家族にとって彼女が危険だと考えていて、家に帰ることをあえてしなかったということでした。それで彼女は、自分自身に爆弾の全ての特質を作りました。そのコンステレーションでは、彼女は核爆弾の後ろにしばらくの間隠れていました。

このコンステレーションの間、突然核爆弾がアメリカ合衆国の代理をしたことが明らかになりました。そして、祖父は日本の代理をしました。休憩の時間だったので、私たちはコンステレーションを中断しなければなりませんでしたが。休憩中のさらなる熟考の後、私たちはもう一度それを続けると決めていましたが、参加者からこのコンステレーションに関する質問が来たので、私がイニシアティブを取って継続すると伝える必要はありませんでした。それらの質問から、そのコンステレーションがどのように続けられなければならなかったかが明らかになっていきました。第一に、日本人をただ犠牲者として、アメリカ人を加害者として見ることができなかったということです。なぜなら、日本人も同じように加害者だったからです。この戦争でも、この戦争の前にも近隣の国に対して攻撃をしていました。そういうわけで、まるで彼自身だけが加害者であったかのように、加害者が彼の犠牲者の方へ進むと予想することができませんでした。また、彼は何か他のものも代理していました。

私たちはそれからもう一度コンステレーションを立てました。この時、爆弾の代理人はアメリカ合衆国の代理に変化し、祖父の代理人は日本の代理に変化しました。彼らの反対側に、私たちは彼らの攻撃の犠牲者を置きました。アメリカ人の反対側に、我々は核爆弾の犠牲者を置き、そして、日本人の反対側に、他の国への彼らの攻撃による犠牲者を置きました。

最初の動きが目に見えるようになるまで少し時間がかかり、最も動きが強かったのは原爆の犠牲者でした。ゆっくりと、彼らは全員地面に沈んでいきましたが、アメリカは動くことができませんでした。最初、私はアメリカと日本をお互いの反対の位置に置いたのですが、まだ正しいステップではありませんでした。お互いの反対側に彼らを配置した後、アメリカと日本に彼らのそれぞれの犠牲者の方へ進ませました。同時に、広島の犠牲者たちと他の犠牲者たちに互いの手を取り、アメリカと日本のまわりで円を作るよう求めました。

それから日本がようやくアメリカに向かってゆっくりと一歩を踏み出すまでには、長い時間がかかりました。しかし、アメリカは身動きせず静かなままでした。日本が非常に間近になった時に初めて、アメリカの代理人は日本に向かって手を伸ばしました。
次に、彼らは彼らの犠牲者の輪の中で握手したのです。
(歴史的に)日本が最初の攻撃を仕掛けたので、これらの動きが実際の事実の代理をしたことは印象的でした。それがアメリカが日本に向かって進むことができなかった理由です。日本が最初の一歩を進めなければなりませんでした。そうすることで、アメリカは日本に向かう動きを作ることができました。

ここでもわかることができました:犠牲者が加害者と犠牲者の両方を見ることができる場所にいることで、初めて和解の一歩を進めることができます(文字通り:彼らは、互いに歩みよることができるのです)。もしもそれが起こるならば、両者が一緒に彼らの犠牲者のために深く悲しむことができるのを見ることが可能になります。このような時にのみ、和解は完結したり、または和解を深めることが可能になります。

H: このコンステレーションでは代理人が全員日本人であったにも関わらず、私たちは(自分たち西洋人とは異なる)他の文化においても、同じ加害者/犠牲者の力動を見ました。あなたが今ちょうど説明したように、ただ、より複雑なやり方で、ですが。

B: ええ、その通りです。今は何もそれに加える必要がないと思います。犠牲者/加害者が重要な役割を果たしたコンステレーションが他にもありました。そして、類似した力動が明るみに出ました。

H: 参加者の多くはこのワークについて予備知識がなかったにも関わらず、過去についての多くの洞察がファミリー・コンステレーションを通して明らかになり、それ自体が自らを素早く直接的に見せたという、この事実に、私は感動しました。

B: 彼らが自分たちの中心に定まっていたことで、私もこれまでに見たことがない程、それは明らかになっていました。

H: あなたが特別なものとして分類するようなコンステレーションは他にありましたか?

B: ええ、京都での最後のコンステレーションです。 クライアントは最初、問題は彼女の母が彼女を拒絶するので、家に帰りたくないということだと言い、その後、彼女は精神的な指導者のところへ行き、しばらくそこに滞在していたと言いました。私は母親、娘、精神的な指導者の代理人を立てました。クライアントの表情が変わり、非常に攻撃的な様相になりました。私は彼女に衝撃的な言葉ではありましたが、コンステレーションの前後関係において正しく現れたその言葉をあえて言わせました。私はクライアントの代理人に、母親に対して言ってもらいました。
「私は、あなたを殺したい」

代理人は、それを言うのを躊躇しました。それで私は代理人をクライアントと交換して、クライアント自身にその文を言わせました。私がその文が正しいかどうか彼女に尋ねたとき、彼女は言いました。「私は彼女を殺したくはありませんが、彼女に死んで欲しいです」
私がそう言うように求めると、彼女は非常に攻撃的にそう言いました。
ヨーロッパでは、人が両親に対してそれほどの憎悪を現すことができると想像するのは困難です。私にできることがそれ以上なかったので、私はコンステレーションをそこで中断しました。もちろん、そのような言葉がクライアントにとってどんな結果をもたらすか理解していましたが、それをその時点では言いたくはありませんでした。
そのようなものを表現してしまうと、人は死ぬほどの罪悪感を感じます。
中断したその後、私は彼女については忘れていました。その翌日に、二重の転位のテーマがもち上がり、もしかしたらそれが彼女のケースでの可能性かも知れないと思いましたが、私は再びそのことを忘れました。ワークショップの終わりに、彼女はもう一度私のところに来て、昨日のコンステレーションが彼女をいらいらさせたままにしていると言いました。もう一度彼女のワークをするかつもりがあるか彼女が私に尋ねたので、同意しました。彼女の元の家族、父親、母親、彼女自身を立てましたが、効果はなく、その後でハラルド、あなたが先祖の列を立てるよう提案しました。

H: あなたがやってきたことから、何か非常に古いものが背景で作用していると理解したからです。

B: 私はあなたの提案に従って、母親とその後ろに7人の女性の先祖を立たせました。常に娘-母、娘-母の順で。その後コンステレーションは自発的に発展し、私自身はわずかしか介入しませんでした。
クライアントは母親の前に立っていましたが、母親は動くことができませんでした。それからしばらくして、彼女自身の母親と向き合うために、私はクライアントの母親の向きを変えました。彼女は数歩下がりました:ここでも、愛の流れは中断されていました。

次に、母親の母親は彼女自身の母親と向き合うために振り向きました。求められることなく、彼女は自分でそうしたのです。そこにもつながりはありませんでした。

彼女自身の母親と向き合うために、この母親も自分で振り向きました。そして、これは8世代前まで続きました。それら全てのケースで、母親と娘との間につながりがありませんでした。8世代前の先祖は拳を握ったまま、地面を見続けました。次に彼女は更に数歩下がりました。根本的な何かがここで起きたのだと見ることができました。私のイメージは明白でした:殺人がありました。

そこで私は男性を指名して、彼女の前で床に横たわるよう求めました。その瞬間、かなり奇妙でしたが、コンステレーションの中にいたクライアントが床に横たわっているその男性の方へ忍び寄り、やさしく触れたのです。彼女は何世代も前に起こった何かの犠牲者と、つながっていたか、同一化していたのです。

このことの後で、8世代前の先祖はその犠牲者の方へ進むことができ、彼らの間で何らかの和解に達しました。
そして私は、この女性と向き合っていた彼女の娘を、自分の娘と向き合わせるために振り向かせました。完全に自発的に、和解は彼女と彼女の娘の間で起きました。
このような動きはクライアントの母までずっと続きました。その間に私は彼女の母親の前にクライアントを立たせ、残りの先祖の後ろに8世代前の先祖と犠牲者を隣り同士に配置しました。その時クライアントは彼女の母親の前でひざまずき、頭を下げ、大声で泣きじゃくりながら、彼女の方へはっていき、母親のひざを抱きしめました。その時、愛は彼女の方へ流れました。 さて、どれほど何世代も前に起きた出来事が現在に影響を与えることができるか、また、どのように正しい時に正しいことを言い、行うことで、解決させることができるかを見るのは印象的でした。

H: あなたは、両親または先祖の前でお辞儀をするその仕方に関して何か違いを経験しましたか? 例えば、日本人はいつでも会ったときはお辞儀をするのではなかったでしたっけ?

B: 彼らがとにかくお辞儀をするとか、むしろ習慣的にするというようなことが特に明白になったということはありません。お互いに対する尊敬を彼らは持っていると深く感じました。私たちがホテルの受付、レストランなどでの扱いから受けた敬意は心から表れていて、心に触れました。
私自身、たいへん学び、考えました。これは本当に人間らしいことだと。そして、それはワークショップでも同様に現れました。
その非常に感動的な例は、兄弟と争っていると言った男性のコンステレーションです。

私たちがそれを立てた時、彼の母親が彼の父の後妻であるとわかりました。私はすぐに、それらの二人の女性の間の対立を二人の兄弟が引き受けているイメージを持ちました。
私たちが女性たちを立てた時、兄弟が彼女たちの対立を引き受けたことが明らかになりました。一人は彼の母親を、もう一人は最初の妻を代理していました。
二番目の妻が最初の妻に尊重していると、そして最初の妻が去ることで二番目の妻に居場所を作ったことを知っていると話すことができた時、二人の間に友好的な出会いが生まれました。

その後、私は父親を二番目の妻の隣に、二人の息子を両親の反対側に配置しました。ワークショップの間中、このクライアントは非常に内気で、少々こわばっていました。しかしこの瞬間、彼は突然強く心が動かされました。彼は母親と父親を抱きしめて、ひざまずいて、彼らの前で深くお辞儀をしました。そしてその次に、驚いたことに、同時に特に美しかったこととして、彼は兄の前でもお辞儀をしたのです。 (対立の中で最初の妻を代理していた) 兄の前でお辞儀をすることで、母親の代わりに最初の妻にお辞儀することと同義です。このコンステレーションは、ほぼ介入することなく進みました。それは、日本人がどれほど真摯であるか、そこから私たちに教え、示すことができるかを見せる美しい例でした。

H: お辞儀をする動作とともにファミリー・コンステレーションに取り入れられた先祖に対する尊敬の念は、ここではとても美しい癒しの効果を現せてくれました。
私たちはまた、日々の生活において尊重というものがどれほど心を和らげる効果を持っていることかを目にしました。 私自身も滞在が3日を過ぎたあたりで、自分がどこにいても人と出会うときにはお辞儀をし始めました。それは、自分の魂にとって、他の人たちとの出会いにおいて、心を和らげる、美しい効果をもっていました。

B: 私たちは日本人から何か魂にとって不可欠な何かを受け取り、自国に持って帰ることになりました。

H: このワークショップを振り返って見ると、それ自体が自動的に進行していくという、顕著な新しい要素があなたのワークにありました。あなたがまったく干渉しなかった4つのケースがあったと思います。あなたはただクライアントの隣に座って、彼らが内部の動きを経験している間、ただ彼らと共にとどまっていました。それについて述べてもらえますか?

B: 私は、過去数回すでにそうしたことがあります。スウェーデンとモスクワで、しかし、1〜2度だけです。日本では、もう少しそうする頻度が増しました。京都のワークショップに参加したイスラエル人が、私に聞きました。「どうしてクライアントはあなたの隣に座った瞬間に泣き出し、深く心を動かされたのでしょうか?彼らの椅子の下に針でも置いたのですか?」
もちろん、そうではありません。
最初、私は彼らが自分自身の中心とつながっているかどうか見るために、ただ彼らを見ました。私が彼らに目を閉じるように言うと、すぐに彼らの魂の中で動きが始まるのを見ることができました。私はただそれにスペースを与えただけです。
それが終わるのを見届けるまで、私はまったく何もしないこともありました。それで「さあ目を開けてください」と言ったのです。彼らが輝いているように見えると、それは終了していました。時にはほんのわずか動きを手助けすることはありましたが、それだけでした。この場合、問題となる全ては内側の動きにあります。彼らがそのように私の隣に座るとき、私は彼らを彼らの魂に、彼らを導く大いなる力に、ゆだねます。私自身は内側で退いて、信頼します。起こる必要があるものは全て自発的に起こると。
私にはそれが何であると定義することはできませんが、それに対し尊敬とともにスペースを与えます。内側で私はクライアントの魂の前に、または、その力の前に深くお辞儀をします。それから、すべては自発的に起こります。

H: それはその瞬間、何かを変えたいというあなたの願いとあなた自身の好奇心を無視することを意味しますか?

B: はい、その通りです。それなくしてそうは働きません。私はある種の共感とともに、単にクライアントの隣に座る誰かのようにそこにいます。実際には、それすらもないでしょう。私は単に彼らの隣に座って、何かが彼らの中で起こると信頼しています。しかし、私は彼らを外側から防御しています。そのため、誰も立ち入ることができません。そのような方法でのみ、それは育まれる得るのです。

H: 非常に良かったのは、あの場には完全な静寂と、この種のワークに対しての共感的なサポートがあったことです。

B: 彼らは全員、中心が定まっていました。そのような場においてはその場の環境がワークを進行させたとも言っても良いでしょう。参加者たちもまた、それに対し場所を与えました。イスラエル人は、私がクライアントに何が起こったかわかっているかどうか、尋ねました。私は彼に「それについて知りたくありません」と言いました。しかしクライアントだった彼女を見ると、彼の方向に微笑み、彼女の肩から重荷がおろされているのがわかりました。それ以上何も知る必要はありません。ここでのワークは、魂の闇夜のスペースの中に置かれます。

H: あなたにインタビューするとき、時々好奇心からも質問をしなければなりません。あなたは、コンステレーションのプロセスの中で突然現れた強い感情については、何を感じましたか?
ワークショップの開始から、深く激しく大声で泣く場面があり、あなたはその多くを許容していましたが、あなたが感情に対しそれだけスペースを与えたワークショップを私はめったに経験したことがありません。

B: 人が木枠に触れるように、私は感情に触れます。それは個人的に私に触れるものではありません。それのあるがままに、私は居場所を与えます。

H: かつてあなたは、ワークショップの中で、もし誰かが泣き始めたら止めていたものです。特に最初からすぐに大声で泣いている時は。あなたのアプローチにおいて何が変わりましたか?

B: あのワークショップでは、感情は原初的感情でした。二次感情ではありませんでした。彼らが実際の痛みに触れるのを非常に明らかに感じることができました。彼らは演じていませんでした。私は彼らが必要とする全てのスペースを与えます。それは全然長い時間を要さず、すぐに完了していました。

H: それで、感情が表出されたときに、あなたがよく指摘していた原初感情と二次感情の識別について、ここでは言及する必要がなかったのですね。代理人がとても中心に定まっていたことがここでの重要な特徴でした。一度あなたが代理人として選んだ西欧出身の人は、センターが定まっておらず、突然コンステレーションの最中にセラピストになっていました。

B: 彼女はロンドン出身でした。私はすぐに彼女を他の人と交換しました。これによって、典型的西欧人と日本人の違いをとてもはっきり理解することができました。

H: 多くの状況で、私たちは言わば沈黙や静寂といった、東洋的な在り方の中に身を置きました。同時に、日本人が西洋に、特にアメリカの文化に多くの重要性を与えていることはかなり明白でした。そのこと自体は日本人に影響を与えたと思いますか? あるいは、影響を与えたとあなたは見ましたか?

B: 私にはそれを判断することはできません。しかし、日本の庭園に入り、自分の内側にそのためのスペースを与えたとき、信じられないほどの静けさと、自分の中心とつながっている感覚が私たちの中に広がり、それを感じることは私にとってもとても良いものでした。その感覚は日本人にはどうやら当たり前のようですが、少なくとも、私たちにとっては今回のワークショップで出会った特筆すべきものの一つです。

H: 私はあなたのハートが、日本人と彼らの文化の方へ大きく開いていると理解しました。あなたは言いましたね:「私はまたここに来ます」と。

B: ええ、私は喜んで、また来ることでしょう。

H: 私にとっても個々での経験は重要でした。私たちが北アメリカや南アメリカでワークをするとき、そこには独自の何かがあります。しかし、ここでは非常に異なる、特別な雰囲気がありました。

B: ええ、美しい雰囲気がありました。全人的な人間性のための感受性、同質のものと同質のものとの関わり合いのための感受性というものが、ここでの経験によって、私の中でより強く成長を遂げました。
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