トレーニング受講生の言葉

第6期ファシリテーター養成コースを終えて


提出者:40代 女性 近畿地方

思い出し、思い出し、コンステレーションを通して受け取ることができたことを書きだしました。
書き終わって思ったことは、「小さくなって、自分の居場所にいることができるようになって、よかった。」ということ。
もっとも印象的なのは、滞っていたエネルギーが自分の中に流れて来た時の感謝と感動です。
やさしく、あたたかかったです。
どうしてもこの感覚は、文章にはなりませんでした。
そして、自分の家族と先祖代々だけでなく、一緒にトレーニングの日々を過ごした皆さまと、そのご家族、その後ろの先祖代々の人々にも、学ぶ機会をもらっていたということにも思い至りました。

【わたくしにとってのコンステレーション】
● トレーニング初期には、苦しさから解放してくれる存在でした。分断していた存在とつながり、自分の居場所に戻してくれたのがコンステレーションでした。
● トレーニングを重ねると、命と人生の美しさを教えてくれる存在となりました。先祖や父母の愛情がいつもあることを教えてくれました。
● さらにトレーニングを重ねると、自分に与えられた資源を感謝して使うことを教えてもらいました。
● さらにさらにトレーニングを重ねると、GHQの戦後占領政策の影響を知り、感じ方、考え方、行動に吟味を行うために存在してくれています。
● 今は、生きることの土台となっていると感じます。感じるとき、考えるとき、選択するときに、体に染みたものを感じながら行います。
● そして、コンステレーションは、深い視点をもたらしてくれて、私が歩む人生を照らす光となってくれています。

私がもし、チェトナ先生やコンステレーションに出会って指導を頂いていなかったら、どうしてこんなに苦しいのかもわからず、すでに人生が終了していたかもしれないと思うことがあります。
へリンガー先生の発見とチェトナ先生の日本国でのご活動にひたすらに感謝するのみです。
そしてへリンガー・インスティテュート・ジャパンへのご縁を持つことができたのは、佛様、先祖、先達の僧侶の皆様のお導きだと手を合わせます。

【今後学んだものを誰にどのように活用していくか】
● 過去にも現在にも、たくさんの方々が使命を静かに全うされることで、私が生き延びたという感覚があります。今後、一番に、私が私の与えられた人生を健やかに朗らかに生きていくことが大切だと考えています。自分の人生を生きると宣言したのですから。
● システミックコンステレーションで教えられた視点は、仕事の場での洞察を深いものにしてくれます。私が教えている学校で、いただいた視点を活用してまいります。特に近年受講生たちの混乱度合いが増す一方です。
それにつられるかのように、職員、講師も情緒が安定しなくなる方があります。これからも私が学び続けることで、場の安定が確保されていくように努めたいと考えます。
● 将来的には、浄土教の教えのある場所で、(先祖供養を大切にする宗派で)、先祖と私たちのつながりのあたたかさを、命の流れを、コンステレーションでたくさんの方々に体験していただけたらと考えています。
● また、かつての私のように居場所を間違え、国の歴史をしらず、あらゆるものとつながりを分断され、生きるのが苦しいがどうしていいかわからない。そうした方々に、ファミリーコンステレーションの存在を知っていただき、働きかかけを受けることができ、国の歴史を知り、つながりを回復する場所がつくれたらと考えて居ます。「何よりもクライアントの安全が優先される」「尊重と敬い」そうした、大切なことがある場所がつくれたらと考えて居ます。
● ただ、まだ、わたしがいただいた命で何をやるべきなのかおぼろげです。これからもずっと研鑽を続けることが大切だと考えます。その中で、私の役割があるなら、それに力を注ぎます。

自分の中で、まだいろいろと問題やテーマがあって、それが、なだれてくるような感じや巻き込まれるような感じが時々します。
まだこれからも、自分の中身を通して、勉強を続けたいと思っています。

【コンステレーションによる変化】
コンステレーション・トレーニング参加の前コンステレーション・トレーニング参加の後
呼吸が浅く、いつも体が緊張していた。
体がいつも冷え切っていた。
深く落ち着いた呼吸に変わっていった。自分が緊張して居ることやリラックスしていることに気が付ける。冷え性が改善されて、体に熱を感じることができるようになった。
時空が混乱していた。自分の年齢や年月の経過、日付に無頓着であった。世界地図や日本地図、かつて暗記したはずなのにわからなくなっていた。地図は見たくないものであった。空間はどんなところでも狭さを感じていたように思う。時系列の混乱が正されてきた。
世界地図や日本の地図を見ることに興味が出ている。
窮屈さを感じることが激減した。
運命でさえ変えることができる。
運命に立ち向かうという考えに賛成していた。
運命に頭を下げることに衝撃を受けた。そして、自分に与えられた命と肉体、時間、機会に感謝が湧いてきた。
自分の適切な居場所と大きさで今いるか?の確認ができるようになってきた。
魂が澱み、芯まで汚れて居たように感じる。じょじょに魂が澄んできた感覚がある。
なにか社会のことがらがどんどんわからなくなる感じがあるのに、何をどうしたらいいのかもわからない。
理解しやすいことを鵜の身にして、ますます洗脳が深くなった感じが、思春期以降どんどんひどくなっていた。
頭のモヤが少しずつ晴れてきて、明晰さを取り戻せるように自分を訓練できるようになった。
自分が今モヤにつつまれているか、晴れてきているのかの判別をつけられるようになった。
無秩序の混とんの中であがいていた。
やればやるほど、悪い方向に行っていた。
この世界には見えないシステムが存在し、秩序だっていることに衝撃を受けた。そして帰属を取り戻すと安らぎ、穏やかで、力が湧いてくることに泣けてきた。
感謝する感じが取り戻せた。
人間や社会、世界に失望していた。
貧しい人間観、世界観の中にいた。
生命の美しさに気が付けるようになった。
人間の健気さに心打たれた。人間が好きになっていった。
自分の五感で感じて居なかった。自分の五感がじょじょに戻ってきた。
家族、家系、生まれた土地、国、職場、学校、あらゆるものとつながりを絶って生きていた。家族、家系、生まれた土地、国、職場、学校、あらゆるものとつながりを取り戻すことができた。
しっくりくる感覚、安堵と沸き上がる力を感じることができた。
自分ひとりで生きていると思っていた。
いつも生存競争の中に生きていると思っていた。
多くの存在に支えられて、自分がここに生きていることが実感できた。様々な存在がわたしを見捨てず、気が付くまでまってくれたことに、ただただ感謝している。
助け合って生きるということがわかってきた。
結局人間はひとりなのだと思っていた。
みな自分のことだけを考えて生きているものと錯覚していた。
誰にも、その人を大切におもう後ろの人びとがいることを知った。私心をおいて、公に尽くす人びとの存在があることにきがついた。 「使命」いただいた命を、何のために使うのか。
その意味を分からせてもらえた。
与えられて当然、あって当たり前という傲慢さの中にいた。先人の恩恵、社会の恩恵、家族の恩恵に思い至るようになってきた。今ここに存在するモノが、だれがどんな思いでこしらえて、継承してきたのか、その人数と時に膨大な時間の流れがあることに思い至るようになった。
父母、祖父母から伝えられた精神を価値のないものと思っていた。大事な事は父母、祖父母から、佛様から伝えられていたことが思い出せた。
いつも浮ついて、焦って、忙しくして、疲れていた。
何も感じようとせず、何も考えようとしていなかった。
だいぶん落ち着いた気持ちで過ごせるようになってきている。
感じること、考えることができるようになった。
体の痛み、疲れがいつもあり、朦朧として生きていた。苦しかった。何のために苦しんでいるのかもわからなかった。快適な日が増えた。未来について堅実に考えて、今すべきことに少しずつあたれるようになった。
浮ついて情報に踊らされていた。必要な学習ができて、何かしら落ち着いて様々なことが吟味できるようになってきた。
視野が狭く、暗く、平面的な感覚があった。視野が広がり、明るさがましたように感じる。
立体的にものが見える感覚がある。
わざわざ救いのない世界観の中にいた。事実と自分の妄想をわけることができてきた。
自分か自分でないかもわかるようになってきた。
仏教の教えや神道の恩恵がわからなくなり、単なる美術品や観光スポットとして自分の中でどんどんと形骸化していった。神仏がわたくしにとっていかほど大切な存在かを思い出すことができた。わたくしの命や肉体は、神仏のお使いとして動くためにあることも理解できた。
罪悪感、無力感、劣等感、自己破壊的行動がひどかった。
さらにそれらを隠すために、優越感や自己効力感を得ようと必死だった。
ただある。そしてつながってあるときに、否定的な感覚はないことに気付いた。私の背後にいる多くの人々が私を安定させて、前へと押し出してくれることに感謝できるようになった。
一日を感謝してただ大切に生きることができるようになった。
正しい歴史を知ることの大切さに目覚めた。
狭い世界観から来る善悪に振り回されていた。システミックな視点を学び右往左往の回数が減った。
ものの見方の土台を得た。
誰かの感覚や思いを背負い、自分を見失っていた。自分なのか他の誰かの感覚なのか、感じ分けることができるようになってきた。私が私である自信が感じられた。
助けようとして、自分以外の誰かになろうと必死だった。ご先祖様の偉大さに思い至らず、代わりになろうと必死だった。私の資源も先祖からいただいたもので、それは存分に生かすべく与えられたのだということがわかった。この福分を感謝して、秩序の中の私の居場所で、大いに生かすことが大事なのだと思った。時系列がはっきりし、すでに終わったことに力を使うことが止まった。
生命、人生に価値がないと思っていた。生まれてくること、生きることの美しさと力強さが初めて見えた。
歴史を知らず、知らないうちに国、家族、歴史、先祖、先人を踏みにじっていた。自分が、どんなに大切に思われていたのかを思い知った。たくさんの恩恵がもたらされていることに気付かせてもらった。
GHQの戦後占領政策の工作に使われていたことに気が付かず、自分、日本、家族、社会の破壊工作に加担していた。私が陥っていた罠に気が付かせてもらえた。
学ぶ機会を与えられた。改善の機会を与えてもらった。
わざわざやっかいな人間関係を選んでいた。やっかいな人びとがいなくなるか、やっかいでなくなるかしていった。人間関係に苦労がなくなった。
女性であることを完全に忘れていた。
女性らしさに価値がないように感じていた。
女性であることを思い出してきた。綺麗なものに心惹かれてよいのだという許可がおりた気がする。
助け合うということは、自分一人が苦労させられ、自分一人が働くのだと思っていた。そうではなかった。
助け合うということがやっと少しずつわかるようになってきた。
以前の人間観、世界観は貧しかったと思う。集合無意識という世界を実感することができた。
人間と魂の凄さに驚愕した。
いろいろなエネルギーや状況に振り回されてきた。川の流れを見つめる視点を教えていただき、思考や感情の濁流にのまれることが減った。
仕事で、逸脱行為が多かったように思う。仕事において、目的、役割、立場、行動と内容を確認して動けるようになった。
気が楽になり、仕事を楽しめるようになった。
いつでも人から厳しい評価を向けられているような気がしていた。苦しかった。自分の中で、自分を見るための確認基準や感覚がある。
たとえば、教えていただいた「真善美」など。
自分のできている点、不足している点をただみて、自己の向上につとめていけるようになった。
政治や思想を遠ざけていた。
国、歴史、先人の偉業について無関心であった。
国、歴史を知ることが、よりよく生きるためにいかに大切かを感じることができた。日本の先人とそのあらゆる業績が尊いのだと実感できた。そのことは、日々の小さなわたしの営みに誇りを持たせてくれた。
天皇陛下、皇室がいかにわたしたち日本国民の安定のために重要かが、やっと理解できた。ありがたいです。
荒れてすさんだ生き方をしていた。
命の尊厳も人生の美しさも、ただの文字であった。
己の肉体と命が大きな流れの中にあることへの感謝が湧いた。

提出者:30代 男性 中部地方

 私にとって、ファシリテーター養成コース(第6期)は再受講だった。
 以前にも受講しているというリラックスした気持ちと、しかし、今回は一体何が起こるのだろうか、という、ある種の胸の高鳴りを感じながらの受講であった。
 そこで体験したことは、私の人生の中で、最も大きな衝撃を与えたと言っても過言では無い。
 次から次へと目の当たりにされる自分の置かれている状況、そしてそれを取り巻く日本の歴史、家族の歴史、GHQの占領政策・・・
 改めて、自分がファミリー・コンステレーションに出会った頃を思い出してみれば、コンステレーションで起こる現象、見せられる現実に半信半疑であり、そして、その心持は、実はファシリテーター養成コース(第5期)を 初めて受講した時でも同じであったように思う。視点を変えれば、自分の問題に対しファミリー・コンステレーションで働きかけを受けたのだから、これが真実であれば、実生活では何もしなくても事はうまく運んでいくだろう、その程度に思っていた。
 しかし、現実はそう甘くはなかった。
 確かに、働きかけを受けることによって、今の状況ははっきりするし、無意識のレベルで変化は起こっているだろう。だからと言って、それに胡坐をかいて良い状況はどこにもなかった。胡坐をかくどころか、働きかけを受けた後、自分がその問題に対して、どのように取り組んでいくかこそが大切なのかもしれないと思い始めた。
 トレーナーでありファシリテーターを勤められるチェトナ小林は、「自分が働きかけを受けたら、そのことは3日は喋らないように。もしも3日経っても喋りたかったら、更に3日我慢しなさい」と言う。これは、コンステレーションで受けた働きかけによるエネルギーの変化を、自分の中に確実に落とし込んでいくためであり、それを喋ってしまう事は、そのエネルギーを外へ発散してしまうようなものだからダメだ、という教訓のようなものである。しかし、それを守ってさえいればよいのかというと、場合によっては違うのかもしれない。
 ファミリー・コンステレーションによって明るみに出る自分の問題は、掘っても掘っても、働きかけを受けて受けても、まるで底がないかのようにいくらでも出てくる。確かに、トレーニングを一通り受講し、その中で働きかけを受けていれば、「自分個人の問題」としては、ほぼ出尽くすだろう。しかし、ここから先が問題であり、ここから先に進もうとする人にとっては、大きな試練が待っている。
 ここから先に見えてくるものは、自分が自分という枠に収まらず、その地域の、その国の影響を如何に大きく受けて生かされているかという事実であり、そしてそれがあまりにも大きく、場合によっては、何故自分にそんな影響が与えられているのかと、知ってしまった自分を呪いたくなる瞬間さえある程である。
 しかし、その試練を乗り越えるための作業が、働きかけを受けた後どうするか、に有るのかもしれない。
 そのような働きかけを受けた後は、それを噛みしめ、自分に足りない知識や経験を増やすため、日々の学びが欠かせなくなってくる。それはまるで、小さな子供が、日々の生活の中でたくさんの知識を得、経験を積んでいくかのごとくである。それを経て、初めて、自分がそこに居る意味を、自分というものの素晴らしさを真に理解し、そして自分を取り囲んでくれている状況が、どれ程自分というものを慈しみ、愛し、尊重してくれているかに気付けると確信している。
 自分を知るために、自分を取り囲む状況を知るために、そして、それを知った自分が、周りを愛し、慈しみ、尊重し、更にそれらを広めていくために、私はまだまだ学び続けていく。

提出者:50代 女性 中国地方

1.システミック・コンステレーションのトレーニング参加の前と後で何か違いを感じるか。
  感じるとしたら自分の何がどのように変化したか?

 この3年間のトレーニング(3期のトレーニングも合わせると約5年間)の間にはとてもたくさんの変化があり、一つ一つを書きだすことは困難ですが、一番大きな違いは、自分が一人で生きているのではないという感覚が強くなったということです。

 これまで私は、常に居場所のない感じや誰にもつながれない感じに悩まされていました。また、自分の感受性の強さが重荷となって、幼少時には自閉症を疑われるほど自分を閉じていました。学生時代には、人と居るのが辛くて引きこもっていた時期もあります。大人になってそれなりに周囲に適応できるようになりましたが、漠然とした不安や孤独感、自信の無さは消えないままでした。
それが、トレーニング中のコンステレーションやエクササイズを通して、漠然としたイメージとしてではなく、確かな体感覚として、どれだけ多くの存在に支えられているかを体験できたことで、自分が大きな流れの一部であり、多くの存在に支えられて「今在る」ということをやっと感じることができるようになりました。
 特に、今回のトレーニングにおいて、GHQの占領政策や共産主義の影響に気づくことができたことが大きな変化を生んだのだと思います。 歴史や政治に対する嫌悪感や抵抗感があって最初は戸惑いましたが、システミック・コンステレーションでは、個人的な信条とか善悪の判断を越えたところで、眼の前に現れる現象を体験できるため、素直に受け取ることができたのだと思います。
トレーニングに参加していなければ、このことに気づくこともなく一生を終えていたと思います。
今でも強い影響の中に居ますが、トレーニング中に体感した(占領政策の)霧の中に居る時の感覚と、初めて霧が晴れて目が開いた時の感覚の違いを忘れないで、眼の端でそれらの影響を見張り続けながら前に進んでいきたいと思います。また、今回のトレーニングにおいて、「日本」や「神道」とのつながりを思い出すことができ、とても感謝しています。自分の中のとても大切で大好きな根っこと切り離されていたことが、こんなにも自分を弱くさせていたのだと改めて感じました。

2.今後、学んだものを誰に、どのように活用していくか?

 まずは自分自身の人生に、そして、家族との関係に活用していきます。そして職場で出会う方々との相談に活かしていきたいと思います。
 先日、職場の上司からこの1年を振り返ってのお手紙をいただきました。その中で、私の相談者を迎え入れる気持ち・姿勢に感心したとほめていただきました。また、「あなたの相談を見ていると、この人はきっといいことも悪いことも人生で相当経験してきているのだろうなと思った」と言われました。
 今までの私であれば、ほめ言葉を受け取ることができず、すぐに自分はだめだと言ってしまうところですが、今回は素直に受け取ることができました。トレーニングで教えていただいたファシリテーターとしての在り方が、少しずつですが身体に浸透してきているのだと思ったからです。等身大に近付けば近付くほど、父や母やご先祖様、英霊の皆様や天皇陛下、日本という国や神道など、多くの支えを受け取ることができること、自分が一馬力で頑張るのではなく、全ての皆様の経験や叡智を自分と言う媒体を通して活用できるということを前より感じられるようになりました。私にとって重荷だった感受性さえも、つながりの中では有効な道具になると感じています。
 今はまだ、この5年間の学びを日常生活の中で消化していくので精いっぱいの感はありますが、自分が等身大になっていく学びはずっと継続していきます。
 また、昨年から仕事で刑務所に行くようになって、刑務所ほどシステミック・コンステレーションと瞑想の必要な場所はないと感じています。今は制限のある枠組みの中での関わりしかできませんが、いつの日か、刑務所の矯正プログラムの中にシステミック・コンステレーションと瞑想が導入されることを願っています。そして、その時にファシリテーターとして関われる自分になっていたいと思いました。

3.自分にとってシステミック・コンステレーションとは何か?

 私にとってのシステミック・コンステレーションとは、自然(愛の)法則がこの世界でどのように作用しているのかを、人々が五感で感じられる形で見せてもらえる特別に許されて開かれた「場」です。
 そこには、時間も空間も超越した、人々、あるいは土地や国と言った人間以外の存在も含めたすべてのものの「愛」や、善悪の判断も越えた「尊重」や、運命に頭を垂れる「謙虚さ」があります。
 言葉ではうまく説明できませんが、私はそこに顕現してくる世界が大好きで、魂が喜びに震える感覚と同時に畏敬の念も感じています。 瞑想も私にとってとても大切なもので根っこは同じもののように思います。自然法則を身近に感じることができるシステミック・コンステレーションと瞑想は、これからも私の人生と常に一緒にあると思います。

※最後に

チェトナさんがご自身の体験を通じて、身を削りながらもたらして下さる知識のおかげでここまで進んで来れました。
本当にありがとうございました!
そして、助手のMさん、一緒に参加した皆様、ありがとうございました!
これからも学びは続けていきますので、よろしくお願いいたします。

提出者:40代 女性 関東地方

システミック・コンステレーション・トレーニングに参加して変化したこと、また今後どのように活用していくか。

 私のシステミック・コンステレーションとの関わりは約十年前が始まりである。初回は問題への働きかけを受けず代理人をやるだけとして参加した。何が起こっていたのかよくわらからなかったが、すごいことが起こっていると感じたことを覚えている。3回目のワークショップ参加で自分の問題についての働きかけを初めて受けた。内容は父の双子の妹の一人(1歳児に死亡)のことで、この叔母の事は働きかけを受けるための情報収集で初めて知った。その後、それまで何となく触れてはいけない空気感があった父方のお墓参りに初めて行くことができた。
 2回目の働きかけは母方祖母と「家」の関わりであった。その後は年1回から2回程度ワークショップに参加し働きかけを受けた。覚えているコンステレーション・ワークは母方祖父の抱えていたものについて働きかけるものだった。最初、他のワークショップ参加者を家族の代理人として立ててみたが、その場の空気が重くなり、代理人の負担が大変なため中断し、人形で再度コンステレーションを立て直すという経験をした。
 ワークショップに参加する中で、一番影響が大きいと感じた自分のコンステレーションは、自分が幼稚園の年長時に、兄の交通事故で手が回らないため人の家に預けられていた時のことであった。私にとってこのコンステレーションでの気づきはとても大きく、変化があったものなので、これをきっかけに変化したことから振り返ってみたい。

1.年長時に預けられていたことについてのコンステレーションで何が変わったか。

(1)アトピー性皮膚炎・皮膚の改善
 預けられていた時のことについて働きかけを受けたあと、半年かけてアトピーが劇的によくなった。皮膚自体の質が変わっていった。それまでは皮膚自体が薄く外的刺激に簡単に反応していたが、皮膚自体が健康に強くなっていく感覚であった。自分以外に鍼の先生である間さんにも指摘された。皮膚が半年くらいかけて変わっていく過程を自分でも気持ちの変化と共に感じた。

(2)部屋が片付けられるようになったこと
 それ以前は物が溢れた部屋に住んでおり、自分のことを片付けられない人だと思っていた。物があっても何かが足りないと感じ、物を買い、増やし続ける生活していた。物が増えると収納するための物を購入し、それでも収納しきれない物にあふれた部屋で生活していた。
 しかし、このコンステレーションによる働きかけを経て不要だと思うものを捨てられるようになった。いろいろな情報を手にして片付けることに取り組み、1年半後には片付いた部屋に住むことができるようになった。また物を購入する時に、本当に自分に必要か考えることができ、不要な物を買ったりすることが減った。また片付いた部屋で編み物をする喜びを思い出し、編んだものを人にあげたりすることができるようになった。

(3)トレーニングに参加しようと思えたこと
 部屋が片付くと自分の人生について考えることができるようになった。自分の人生を考え、結婚のことも考えるようになり、それまで人に勧められても乗り気でなかったが出会いを求めて活動するようになった。その中で自分の問題に気づき、それまで何度か誘われても参加しようと思えなかったトレーニングに参加しようと思えた。そして6期の基礎コースが始まる直前の3月にあったワークショップでチェトナさんから「参加した方がいいと思う」と声をかけていただいたとき、「はい」と素直に答えることができ、4月からトレーニングに参加することとなった。


2.トレーニングに参加して変化したこと。

(1)日本人である体感を得たこと、近現代史を学ぶきっかけをいただいたこと
 トレーニングに参加して、自分が日本から分離しており、それゆえに辛いこと、それでも日本に支えられていることをさまざまなワークや働きかけを通して体感させていただいた。またトレーニング中に参加した「戦後世代のためのワークショップ」を経て、熱に浮かされるように日本の近現代史を勉強した。自分ではよく分からない力に動かされ、いろいろな動画を見たり、本を読んで、沢山泣いた。そして日本を好きで良いと思えるようなり、日本がすごく好きであると感じるようになった。もともと神社が好きであったが、私にとって日本と神社が一つにつながっており、日本とつながるために理由も分からず神社にお参りしていたのだと感じた。
 また近現代史を学ぶことで祖父母達やその世代の方々の凄さがわかった。そして、その子孫であることに誇りを持つことができ、恥じないように生きようと思えるようになった。

(2)過去に受けたワークの意味がより深められたこと

①幼稚園の年長時に預けられていたときの働きかけについて
 トレーニング3年目のファシリテーター養成コース最終回「トラウマワーク」を受講し、預けられていた時の働きかけがトラウマワークに近いものであったのだと感じた。死に直接結びつく体験ではないが、幼稚園の年長5歳の時に3ヶ月間、預けられるという体験は私にとり、とても強烈な体験であった。またそれは25歳頃に突然思い出した記憶で、それまではすっかり忘れていた記憶でもあったことを思い出した。
 また、基礎コースの最終回の「遮られた親への動き」のワークで、預けられていたときについてのコンステレーションで感じた「両親に受け止めてもらう事」を再体験することができた。再度体験することで、過去にすでに感じた感覚・感情をより自分の中に落とし込むことができた。

②一番初めに受けた父の妹が1歳の時に亡くなったというコンステレーションについて
 養成コースの最終回で行ったコンステレーションは、一番初めに立てたコンステレーションと同じ父の妹に関連した内容であった。しかしそこでの働きかけで受け取ったものの質や理解の深さは以前とは異なるものであった。同じ事柄を取り扱ったとしても、そこで受け取れるものが違っていた。父の妹が死んだとき、祖父母が体験している時代背景を全く知らないままで受け取るものと、近現代史を勉強した上で、終戦の年の4月に起こった事であるとかみしめて受け取るものは全く違っていた。
 また、今回の働きかけの後、父の妹が死んだとき祖父母が今の私より若かったこと、兄が交通事故で私を預けていたとき両親が今の私の年齢より若かったことに気がついた。頭では分かっていたが、そのことが明確に現実感を伴って腑に落ちる感覚があった。20代30代という年齢で何をどこまで受け止め対処していたのか。いまは素直に祖父母や両親が、その時にできるベストを尽くして、生き残ってくださったことに頭をさげることしか出来ないと感じている。

(3)女性であることに違和感がなくなったこと
 今、女性らしい格好をする事が楽しい。化粧を習ったりもした。今まで、女性の体であることに違和感を持っていたことに気がついた。以前は女性として着飾ることに抵抗があった。

(4)自分の立ち位置を体感・軸を感じることができたこと
 トレーニングを通して一番変わったと感じられることは、自分は過去から真っ直ぐにつながってきたものの先端に、「支えられて」「いる」ということを感じることができることである。そのしっかりした体感を作るためにトレーニングに参加し、また今もそれを強化するために、システミックコンステレーションのワークショップや勉強会に関わっていたいと感じている。
 そして、その体感を感じられるとき、自分は大丈夫なのだとわかる。また同時に後ろから前に進むように促されているようにも感じる。
 今回、このレポートを書くにあたり、過去に時々書いていた日記を読み返し検討した。文章の端々から辛いと感じていたことが読み取れ、それでもなんとかぎりぎり生き延びていたのだと感じた。トレーニング開始後も書いてはいたが、徐々にその日記に書くことも減っており、書いている内容もトレーニング以前と比べると、楽になっていることが読み取れた。辛い状況や気持ちを書かずには居られなかったトレーニング以前を振り返ると、自分の立ち位置の体感がなかったことや両親が本当に精一杯であったと実感できなかったことで、自分の視点からしか周りが見えず、「自分は愛されていない」という幻想の中に生きていたのだとわかった。私にとってトレーニングとは縦の時間軸において、自分がどの立ち位置にいるかという体感を学ぶため、得るためにあったと感じている。


3.システミックコンステレーションで学んだことを今後どのように活用していくか。

(1)自分自身の人生を大切にすること
 今までは後ろを振り返ることばかりで、見ることができていなかった自分の人生や未来について対してもっと具体的に行動したいと思っている。自分では日々いろいろな問題に対処していたつもりであったが、自分自身を「幸せにする」「大切にする」という視点がその時なりに取り組んではいたが、今思うと足りていなかった。まずはそこに向き合う事をしたい。また与えられていたものに気がつかなかったときにはできなかった、与えられたものに感謝して、その受け取ったものを使っていきたいと思っている。

(2)システミックコンステレーションとの関わり方
 まっすぐに支えられている体感を忘れないように、今後もコンステレーションの場にもかかわって行きたいと思う。またトレーニングに参加し体感を得るまで、トレーニングでご一緒した先輩や勉強会の場を支えてくださった先輩たち、同期など、いろいろな人に支えられて、ここまで楽になることができた。まずはその先輩方、同期にできることを返していけたらと思う。また後にくる人に自分も少しでもその場を支える人になれたらと思っている。

(3)仕事への活用について
 今回トレーニングに参加する事で日本を好きになり、公務員として働くことについて再度考える機会を得た。日本についてもっと学び、日本の公務員として自信を持って働けるようにしていきたい。また今はまだ、どのようにしたらよいか明確ではないが、自分がこれだけ変化し、生きることが楽になったこのシステミックコンステレーションを、公務員であり、地域・家族に関わる専門職でもある自分の職場での立ち位置で何か活用できることはないか考えていきたいと思う。


提出者:30代 女性 北海道

 私が初めて家族の座(システミック・コンステレーション)のセッションを受けたのは、2010年1月のことだ。私は両親を後ろに残して前へ進み、「私は私の人生を生きます」と言って座が終わった。それから、システミック・コンステレーションに魅せられるとともに、自分自身と向き合う旅を続けてきた。

 3年間のトレーニングを終え、今の自分は、トレーニングに入る前の自分と比べて、大きく変化したのを感じる。何よりもまず、自分の中のぶれない軸とその根拠を見つけたことだ。私は、自分が日本という国に生を受けて、今、生きているという事実が、どれほど素晴しいことなのかに全く気付いていなかった。知ることが私を救うのならば、と、必死で日本の歴史について勉強した。私の中に新しい日本という国の形ができると、日本に生まれたことを誇りに思い、胸を張って日本人だと言えるようになった。日本人として日本に生きる自覚が芽生えたことは、私を強くさせた。私の中の日本という国を取り戻すと、先人から伝承されてきた、日本人の美徳のひとつである正直で誠実に生きることが、とても清清しく、力強く、ずっとこうしたかったのだという思いが湧き上がって来た。
 いつからか、日本は未だに古い伝統に囚われ、狭い土地で息苦しく暮らし、日本人は外国人と比べて、「すみません」が口癖ですぐに謝り、主張することが苦手で、お人よしで弱く、負けてばかりいると思っていた。さらに、自分が欲しいものを獲得するためには戦い、損得で動き、どこにいれば有利かを考えて立ち回らなければ、この世界を生きていけないと思っていたが、その思い込みからも解放された。言い換えれば、他人からどう見られているか、どの立ち位置にいれば良いのかを気にしてばかりいたのが、視点の軸が変わり、自分に戻ってきたとも言える。

 私にとって、孤独であることは馴染み深い。トレーニング初期のエクササイズの際、自分の背中にご先祖様を想像すると真っ暗闇であったと、今でもその感覚を思い出すことができる。しかし、事実はそうではなく、私が今ここで生きていることは、父と母はもちろんのこと、祖父や祖母、たくさんのご先祖様、神様、すべてのあらゆる力が私を押し出してくれたからに他ならない。自分のいのちのバックグラウンドを思うと、孤独で切り離されているという感覚の方が幻想で、私にはたくさんの温かいものが流れて伝わっていることがわかる。それが私を形作り、支えを受けて、私がここに存在していることのゆるぎない根拠に思える。私は決して一人ではなく、孤立無援ではなかったのだ。

 また、私が瞑想やセラピーなど自分自身の探求を続ける理由となった、過食嘔吐については、ファシリテーター養成コースの4回目が終わった時期にかなりの改善が見られた。21歳から10年以上、食べては吐くという行為を続けてきた。生きているよりも死んだほうがましだと思いながら、毎日大量の食べ物を買い、食べ、吐き出し、絶望しながら繰り返すという日々が徐々に減っていった。今では、吐くために大量に食べるという発想が無くなり、ひどい過食嘔吐は治まっている。少しずつ、人とご飯を楽しんで食べることもできてきた。体重が増えていく自分も受け入れられるようになった。本当に良かったと、じわじわと喜びを噛み締めている。どんなことをしても治まらず、治癒は無理かもしれないとあきらめかけていた症状が落ち着いてきたことは、大きな収穫である。
 今後、システミック・コンステレーションのトレーニングを通して学んだものを誰にどのように活かしていくか、ということについては、まだ具体的な想像ができていない。自分の問題で精一杯であった私が、ふと周りを見回したときに、何ができるかと考えると、やはりこれからも、システムを学んだ私が私として生きていくことが大事なのではないかと思う。他の誰の分でもなく、自分が自分の人生の責任を負うこと、自分を尊重することは、他の人の人生を尊重することでもあり、人と関わる上では重要なポイントだと思う。私は、現在、公務員として働いているが、そこで関わる多くの人に、私が自分の人生を力強く生きることで、何かしようと思わなくても、何かができるのではないかと思う。また、自分に与えられた能力を使うことに責任を持ち、その能力を発揮させていくことは、自然と周囲に影響を与えるのではないだろうか。まだまだ、人に巻き込まれてしまうことも多いが、システムを学ぶことで身についた秩序を、その場にもたらすことができれば素晴しいと思う。人間関係の中にいて、ファシリテーターの立ち位置で物事を見ることは、より広い視野から起きていることを多面的に見ることができる。今後、もし自分が組織の中でリーダーとして働く役割が与えられた時には、大いに役に立つであろうことが想像できる。私は、自分の人生をファシリテートするファシリテーターでありたい。
 また、時機と役目が与えられるのならば、結婚し、親となり子どもを産み、日本という国を次の世代に手渡していくことも、システムで学んだことを活かす選択肢の一つだと考えている。私に与えられたように、私も与え、夫婦が良いパートナーシップを築き、子どもの後ろにはたくさんのご先祖様が見守ってくれていることや日本人として生きることを示し、前へ踏み出す勇気を与えることは、その子の中に生きるシステムに、有益なものをもたらしてくれるのではないかと思う。
 直接的な活用について言えば、私はコンステレーションの場を非常に好み、システミック・コンステレーションとは今後も関わっていきたいので、いつかプロとしてファシリテートをしてみたい、と思う気持ちがどこかにあるのも否めない。ただ今は、その目的や対象が明確ではないので胸の内にひっそりしまっておく。

 コンステレーションの中で代理人として立った時、そこに私個人の思考や、感情は無くなる。また、身体も明け渡し、私は私でありながら、私ではないという不思議な体験をする。私を通して表現されるものを、ただ、そのままに受け取り現すことは心地良く、それが許され、守られ、尊重されている場にいることは幸福である。多くの代理人の役をし、自分の座を立て、コンステレーションの場にいることでつかんだ体感覚と理論は、私にたくさんの気付きを与えてくれた。起きていることに対するものの見方が変わり、どんなことであれ、目の前の出来事を信じることができるようになった。一人ぼっちだった私に、居場所と勇気を与えてくれた。秩序の中にいるときに安心し、くつろぐことを覚えた。そして、生きることを選択させてくれた。
 私は小さな頃から、いつも物事の根本にあるもの、核になることを知りたいと思っていて、その究極の形として、人はなぜ生きるのか?ということにずっと興味を持っていた。大人に聞いたり、たくさんの本を読んだり、成長してからは智恵のありそうな人を訪ねて聞いたりもしたが、誰も納得できる答えをくれなかった。問い続けた私に、一番シンプルで美しい形を見せてくれたのが、システミック・コンステレーションだ。私の中で答えらしきものが見え、安心した時から問うことはなくなり、「なぜ」ではなく、「どう」生きるのか?に変化していった。

 システミック・コンステレーションとは私にとって、事実を認め、本来の自分を思い出し、現実を生きるためのガイドなのではないかと思う。身につくまでは時間を必要とするが、何日か経つと元に戻ってしまうような一時的な癒しや高揚感ではなく、深いところにある不変の原則が私の目前に現れ、静かにしみこんでいく感覚だ。システミック・コンステレーションは、常に生きること、成長することを選択するものだと思う。私に与えられたいのちを、私はどのように使っていくか、これから問われていくのだと思う。私は自分の中に大きなエネルギーがあることを知っている。今まで過食嘔吐をはじめ、違う方向へ注ぎ込んできたエネルギーを、どのように使いこなしていくかは、私の責任である。その過程の中で、私は成長し続けていきたいと思う。

 初めてセッションを受けた時に、「私は私の人生を生きます」と言い、座が終わった。両親を後ろに残したままで、前へ進む私のイメージが頭にあるが、当時はそれを理解することはできなかった。踏み出した一歩は新しく、希望に満ちたものであったが、両親を捨てて行くことへの罪悪感があり、心が引かれ、後ろめたさでしっかりと前を見ることができなかった。しかし、今、家族の最先端にいて委ねられているのは、私なのだ。自分の足でしっかりと立ち、支えてくれるゆるぎない力を信じることができると、私が前に進むことを、喜んで見守ってくれるたくさんの人々の姿を思い浮かべることができる。私は自分の力で生まれてきたのではなく、すべて与えられ今ここにいるという事実に直面し、ただ感謝の思いがあふれてくる。私の全部を使って自分を幸せにし、自分を良いことのために使おうと決意する。正直で誠実で、謙虚であり、澄んだまなざしで未来の方向を見つめ、学ぶ努力を怠らず歩いていきたいと思う。

 最後に、チェトナ自身の人生をかけて私たちにシステミック・コンステレーションを示し見せていただいたこと、そして3年間私を導き、励まし、見守ってくださったことに心から感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。



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